御祭神
かいかてんのう わかやまとねこひこおおひびのすめらみこと 開化天皇(稚日本根子彦大日日天皇)
大日本根子彦国牽天皇(孝元天皇)の第二皇子。
母は欝色謎命(うちしこめのみこと)。孝元天皇57年に、父天皇の没を受けて即位。
(明治2年以前は開化天皇の子5人の中から3人と彦坐王命の子1人の五柱を奉祀していた)
大日本根子彦国牽天皇(孝元天皇)の第二皇子。
母は欝色謎命(うちしこめのみこと)。孝元天皇57年に、父天皇の没を受けて即位。
(明治2年以前は開化天皇の子5人の中から3人と彦坐王命の子1人の五柱を奉祀していた)
彦坐王命の第四世に当る治田連が、淡海の国造としてこの地に居住し、専ら栗太一円の墾田開拓の事に当り、土地の開発と人民の生息の基盤を築き、治田一族の遠祖である第九代開化天皇の神霊をこの地に斎祀して此の里の守護神として仰ぎ奉ったのを始とする。時に雄略天皇6年(西暦462年)の事である。古来より九帝王宮・九帝王社としていたが、明治3年萱野神社と改められた。
御神紋の蓑亀は、和同8年(西暦715年)大干ばつの折、農民が雨乞い祈願をしたところ里中の洞穴から左目白く首赤く背三に分れ七星の紋がある霊亀が這い出て、大雨が降り農作物が蘇生したことから、古来より長寿の象徴とされ、縁起の良いめでたい動物である亀が神紋とされた。その洞穴あたりを大亀川・狼川・老上川(現在の大津市と草津市の川付近か)と言う。
雄略天皇 6年(462)
御鎮座
昌泰 3年(900)
正一位授位・・・元和七年(1621)九帝王大明神縁起書による
寛文 5年(1665)
正一位九帝王宮(「神宣」神位免許状)・・・卜部朝臣
元禄 3年(1690)
神輿修理(新調年代は不明・修理はこの記録が最初)
宝暦9年(1759)・寛政7年(1796)・明治33年(1900)・昭和23年(1948)
※平成2年(1990)・平成14年よりこの神輿は蔵に保管・例祭時展示
慶長16年(1611)〜安政3年(1856)迄の間、記録にあるだけでも16度の神領寄進状が発せられ、膳所藩からの特別の崇敬があった事がうかがえる
明和 5年(1768)
御社殿再建(宝暦9年1759年大萱地域の大火にて消失の為)
明治 21年(1881)
東海道本線の設置で境内地が分断される
昭和 44年(1969)
鉄道線路複々線化並びに、瀬田駅新設に伴い境内地が狭くなり、末社及び神輿蔵等を移築す